オープンなパーソナリティであるということ…

久しぶりのブログである。ここにものを書こうと思ったきっかけは様々あるのだが、もやもやした時にこうして最近はブログに思いのたけをぶつけるようになった。そして、今キーボードを叩いている。

時は過ぎ、そして新しい出発や旅立ちの時を人間は誰しも迎える。入学式、卒業式、就職、退職、結婚、出産、就任など様々。

僕自身、WEB制作という業界に足を踏み入れたのはかれこれ15年近くも前の事で、当時は大手の企業のカスタマーサポートセンターで世界中の各支店への不具合修正プログラムをWEBインターフェースを通して配信するという仕事を行なっていた。当時の概念ではまだ目新しいCMS(コンテンツマネージメントシステム)を使い、その斬新な概念に基づいた管理システムに大いに好奇心を示しながら管理業務などを行い、実際にそのような仕組みを提供する業界へと足を踏み入れていった。

当時のインターネットのニュースの世界は、MSNがTOPページで提供するニュースがほぼシェアを独占していたように思う。そして、Yahoo!よりもMSNのTOPページこそがインターネットを開いた直後の全ての始まりだったと思う。やがてYahoo!がディレクトリ登録型の検索エンジンを始め、そしてGoogleがボット型の検索エンジンを提供した。インターネットのニュースのあり方も大きく変わっていった。やがて管理人ひろゆき氏による2chが登場し、掲示板に全ての話題が集約されていった。そして時に2chの存在自体がニュースとなることもしばしばあった。

当時の2chの掲示板においては、どのような発言も許されていた。そして匿名性を帯びた発言は多くの人の心を時に傷つけ、時に慰めた。

ここには、輪郭しか残ることのないパーソナリティが形成するレスが展開され、そして多くの社会的な疑問をインターネット上から投げかけていった。そして時には殺人事件などの予告を行うようなこともしばしば起きた。オープンであるがゆえに、その発言者のモラルや意識が強く問われる事になり、司法もこのようなケースにおいての措置を始めるだった。

やがて、時はたち、WEB2.0の時代を迎えるソーシャルメディアやブログの登場により、情報共有の波は一気にユーザー層に定着していった。このオープンなプラットフォームをユーザーたちが思い思いの形へと独自性のある表現でインターネットの世界はさらにその可能性を発揮することとなった。

2013年、この年は日本にとってどのような変革の時となるだろう。
そして、オープンであるという事の重要性はどのように形成されていくのだろう。

開かれた世界を垣間見ることができる世界というのは公共性を帯びているという事に他ならない。あなたは公園のトイレに落書きをしたことがあるだろうか?それは公共性故の業ではあるが、それを消す人もいる。そしてニュースは、様々な課題を残している。あるジャーナリストは情報を発信したが故に、管轄する会社から阻害されいわれの無い言い掛かりによって、元居た場所を追われる存在となった。これは、情報の公共性を本人が担保した故に、不都合だと感ぜられる側からの圧力を受けたのだ。

公共性を帯びた発信とはなんだろうか。

そして、今あるオープンなプラットフォームをどのように活かすべきだろうか。

パーソナルメディアの時代が到来してはや5年近くが経とうとしている、自分がブログを書き、それを多くの人が見る。そしてそこには閲覧者におけるどんな制限も無い。インターネットのオープンなコミュニティはこうして拡大し、形成されていった。

選ばれし者だけが知ることができる情報というのは、実はその意味において公共性に欠けてしまう。それは本来のニュースの姿では無いと感じざるを得ない。しかしそういった仕組みが存在するというのは仕方のないことだと思う。それが故にビジネスとしては成り立つのだから。知り得ないものは淘汰され、やがて世の中から除外されていく。それが日本における公共性の側面なのだろう。そして、情報発信者は、その対価を支払うものに準じたコンテンツを形成し、そのために尽きることのないサイクルへと進んでいく。

日本の多くの言論のシーンでこうした仕組みが導入されていった。そして、それはある意味で仕方の無いことなのかもしれない。そうでもしなければ言論の自由が担保されないという嘘みたいな動向になりつつある。だからこそ、僕はオープンなパーソナリティである存在がオープンに発する言論を求めていきたい。それに対する対価は、当然のように見ているユーザーにその言論を支えるすべを仕組みとして今後、用意しなくてはならないのだと思う。

すべてのブロガーたちは、その仕組みを待っていることだろう。

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