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プログラミング

打ち続ける鍵盤の音と思考と目的が同期し、見えなかった仕組みの解明と活用・応用を繰り返しながら引数を整形、展開する仕組みと切替を作っている。それは抽象的な表示となって森林木の網目は広がっていく。ひとつの行動、選択に反応して複雑な回路と算法を抜けて道理と倫理を返す。

然うして、かつて見えなかった世界を築いていく。誰かがその仕組を作り、それを継承しながら応用を加えて処理をする。それが一度人の目に触れるとその構造物は反応を以って対処し得る結果を返す。それは電気回路構造の複雑さ故に時間軸の間で最適な答えを見つけるのに役立つだろう。誰もが根拠のある答えを探し続ける以上、この仕組は成長を止めることが無い。それは未知への挑戦とそれに対処する予め備えられた流れを通して人は新たな発見へと想像力を膨らませる。

オープンなパーソナリティであるということ…

久しぶりのブログである。ここにものを書こうと思ったきっかけは様々あるのだが、もやもやした時にこうして最近はブログに思いのたけをぶつけるようになった。そして、今キーボードを叩いている。

時は過ぎ、そして新しい出発や旅立ちの時を人間は誰しも迎える。入学式、卒業式、就職、退職、結婚、出産、就任など様々。

僕自身、WEB制作という業界に足を踏み入れたのはかれこれ15年近くも前の事で、当時は大手の企業のカスタマーサポートセンターで世界中の各支店への不具合修正プログラムをWEBインターフェースを通して配信するという仕事を行なっていた。当時の概念ではまだ目新しいCMS(コンテンツマネージメントシステム)を使い、その斬新な概念に基づいた管理システムに大いに好奇心を示しながら管理業務などを行い、実際にそのような仕組みを提供する業界へと足を踏み入れていった。

当時のインターネットのニュースの世界は、MSNがTOPページで提供するニュースがほぼシェアを独占していたように思う。そして、Yahoo!よりもMSNのTOPページこそがインターネットを開いた直後の全ての始まりだったと思う。やがてYahoo!がディレクトリ登録型の検索エンジンを始め、そしてGoogleがボット型の検索エンジンを提供した。インターネットのニュースのあり方も大きく変わっていった。やがて管理人ひろゆき氏による2chが登場し、掲示板に全ての話題が集約されていった。そして時に2chの存在自体がニュースとなることもしばしばあった。

当時の2chの掲示板においては、どのような発言も許されていた。そして匿名性を帯びた発言は多くの人の心を時に傷つけ、時に慰めた。

ここには、輪郭しか残ることのないパーソナリティが形成するレスが展開され、そして多くの社会的な疑問をインターネット上から投げかけていった。そして時には殺人事件などの予告を行うようなこともしばしば起きた。オープンであるがゆえに、その発言者のモラルや意識が強く問われる事になり、司法もこのようなケースにおいての措置を始めるだった。

やがて、時はたち、WEB2.0の時代を迎えるソーシャルメディアやブログの登場により、情報共有の波は一気にユーザー層に定着していった。このオープンなプラットフォームをユーザーたちが思い思いの形へと独自性のある表現でインターネットの世界はさらにその可能性を発揮することとなった。

2013年、この年は日本にとってどのような変革の時となるだろう。
そして、オープンであるという事の重要性はどのように形成されていくのだろう。

開かれた世界を垣間見ることができる世界というのは公共性を帯びているという事に他ならない。あなたは公園のトイレに落書きをしたことがあるだろうか?それは公共性故の業ではあるが、それを消す人もいる。そしてニュースは、様々な課題を残している。あるジャーナリストは情報を発信したが故に、管轄する会社から阻害されいわれの無い言い掛かりによって、元居た場所を追われる存在となった。これは、情報の公共性を本人が担保した故に、不都合だと感ぜられる側からの圧力を受けたのだ。

公共性を帯びた発信とはなんだろうか。

そして、今あるオープンなプラットフォームをどのように活かすべきだろうか。

パーソナルメディアの時代が到来してはや5年近くが経とうとしている、自分がブログを書き、それを多くの人が見る。そしてそこには閲覧者におけるどんな制限も無い。インターネットのオープンなコミュニティはこうして拡大し、形成されていった。

選ばれた者だけが知ることができる情報というのは、公共性を欠いた情報である。それは本来のニュースの姿では無いと感じざるを得ない。しかしそういった仕組みが存在するというのは仕方のないことだと思う。それが故にビジネスとしては成り立つのだから。知り得ないものは淘汰され、やがて世の中から除外されていく。それが日本における公共性の側面なのだろう。そして、情報発信者は、その対価を支払うものに準じたコンテンツを形成し、そのために尽きることのないサイクルへと進んでいく。

日本の多くの言論のシーンでこうした仕組みが導入されていった。そして、それはある意味で仕方の無いことなのかもしれない。そうでもしなければ言論の自由が担保されないという嘘みたいな動向になりつつある。だからこそ、僕はオープンなパーソナリティである存在がオープンに発する言論を求めていきたい。それに対する対価は、当然のように見ているユーザーにその言論を支えるすべを仕組みとして今後、用意しなくてはならないのだと思う。

すべてのブロガーたちは、その仕組みを待っていることだろう。

情報消費者

気軽に、オンラインにアクセスすれば様々な情報を手に入れることができる時代になりました。

今では自分の探している情報やニュースを無料で、しかもリアルタイムに取得することができます。

自分は、こういった情報に日々ふれ合っていて、様々な情報を取得し、身の回りの事について知ることができます。
時にグローバルな視点さえも身につける事ができます。

あふれる情報の中で、感化されてしまい自分の視点を見失う事もあります。

根も葉もない情報を信じて感情的になる事もあります。
そういった事を考えると。情報に接する私たちは一括りに情報消費者なのではないかと思います。

情報消費者とは、文字の通りに情報を消費する者の事です。
消費者は流動的であり、必需品を消費するために、同じくプロバイダーまたはメディアであると言えます。

インターネットがもたらした情報社会は、年数を重ねる毎に私たちを人類未知の世界へといざなっています。

情報発信者(コンテンツプロバイダー)という境界線さえも非常にまばらになりつつあり、コンテンツプロバイダー達は今まで専有してきた状況から生き残りをかけた方法を日々探求し、試みては引き返すという事を繰り返しているのです。

プレインテキストの革命はこれからも多くの分野、レガシーな仕組みに対しての挑戦を繰り広げていくことでしょう。

WEBツールの開発について

WEBアプリの開発を行うにあたって、ユーザーにとって真の価値のあるサービスを提供したいと願っています。

今回のこのWEBサービスを使って、多くの人に広告の価値、WEBの可能性に気付いてもらえるとうれしいし。継続的な、いつまでも心から楽しみと効果を満足させるサービスになる事を願います。

詳細は後日…

谷歌の理想…

グーグルが中国から撤退。というニュースが大々的に日本国内のニュースで報じられた。

冷静に考えると中国は、自国ブランドの検索エンジン「百度」が中国検索ユーザー全体の60%のシェアを持っているという。

中国にとっては国の法に則って企業のサービスなどの規則があるのだからいくら美国(アメリカ)の大企業だからと言って、例外とする訳には行かないだろうし、
広告利益等、国外企業に搾取されるよりは自国の検索エンジンの技術開発、サービス向上につなげるのが得策といったところだろうか?

とあるニュース番組でインタビューに応じた中国の青年が、

「国がだめと言っているのだから、それに従えない場合は出て行くのがいい。」

と言っていたのを思い出す。(TV視聴した筆者の記憶に基づきます。)

これは、愛国心なのだろうか…。百度がある故の自信なのだろうか。

それに比べ、日本の場合、純正国産検索エンジン「SAGOOL」以外は、他の国の検索エンジンサービスに依存せざるを得ないのは日本のWEB業界においては意外と恥ずかしい一面なのではないだろうか。

「日本WEB」は、Yahoo!(カテゴリ登録型ディレクトリ検索エンジン)から始まったといっても過言ではないが、独自の方向性を築くのには少し遅れをとった感があるのではないだろうか。

いずれにしても、中国とGoogleの間の事は、日本がとやかく言える立場ではない事を残念に思う。